2013年12月17日

大人の嗜み 〜その2〜

音楽。
文化、芸術の中で一番扱い易く、
親しみ深いと思われているもの。

ところが、思ったよりも音楽に関して
初心(うぶ)な人が目立つ。

そもそも音楽は数学から導かれ、
あらゆる先人の努力により発展し、今日にいたるわけで、
絵や料理、建築と同じように、一朝一夕では成り立たない
に決まっている。

ところが、50年代以降に音楽の市場が拡大すると共に、
音楽への判断が難しい状況にもなり、判断自体を自分では
下せない人の割合が増えている。ここ10年は本当に
もの凄く増えている。

文化、社会の幼稚化と共に音楽も単純、わかり易い、見た目が良い、
といった要素がもてはやされ、もはや本当に歌えるか?演奏できるか?
といった基本的なことすら、どっちでも良いという人もいるらしい。

どっちでも良い音楽を選ぶ人は、他のあらゆる点においてもどっちでも良い
ものを選び、自分すらどっちでも良い存在になってしまうのでは?
なんて、思ってもいない心配をしそうになる。

さらに悪いのは、そんな人達を率先して悪く言うタイプの人にかぎって、
音楽を選ぶプロセスが、あまり変わらないという点。

今の音楽がつまらないとか、アイドルは興味ないとか、的を得ていて
もっともらしそうな意見だけど、そんな人が聴く音楽も、結局は
メディアに与えられた音楽で、たまたま世界的に有名だったり、
様々な記録を持っていたり、本当の音楽家だったりしただけ。

そして歌えない歌手をこのむ人も、昔の思い出を大事に
し続けるタイプも、好きな食べ物やお笑いを探すよりも、
遥かに消極的な方法で音楽を選んでいる。

自分が音楽と深い繋がりを持つからそう思うのか?
とも考えたことは何度もあるけど、とりあえず日本人
以外は、かなり積極的に好みの音を探している。

数年前に会った日本以外の国で育った中学生は、誰でも知るような
有名な歌手のCDはとっくに卒業して、自分で好きなローカルの
(メジャーでは無い)かっこいい音楽家の音楽を探して聞いている
と言っていたし、仮に芸能的な音楽を好んで聴いていたにしても、
それにはある程度の理由が言えるし、それが馬鹿にされる可能性
も自覚している。

英語圏では、そういうのを『ギルティー・プレジャー』と
言うらしい。いい大人が子供っぽい趣味を持ち続ける場合も
あるし、それが必要な人がいるかも知れない。でも、それは
自分だけの秘密にしておくのが良い。

比較的年配には少ないのだけど、そんな年配の人達には
謙遜の美学があり、かなり知っていても専門家で無い限り
知ったような口を聞かない。これは素晴らしい傾向なんだけど、
最近の日本社会では、謙遜が活きない社会になりつつある。
うっかり武士道がどんどん劣化しているからだろう。

そしてそんな中で育った新しい世代は野放しになり、
教育の問題もあってか、どんどん文化・芸術に対する
見識が低くなってきてる。そんな状況が悪化し続ける
一つの原因は、音楽において初心(うぶ)なまま
大人になるからなんだろう。

小学生の時に学校で、突然ベートーベンの音楽を聴かされ、
その音楽について感想を書けと言われたことがある人は
少なくないでしょう。

ベートーベンについても、音楽についても、西洋の文化に
ついてもほとんど知識の無いまま、その感想を『ちゃんと』
書かないといけない状況。

感想なのに、そこには点数があるらしく、決まった答えが
あるらしい状況。

僕がある程度楽器を弾けるようになるまで、クラシックに
本気で興味を持てなかった理由の一つにこの体験があるし、
そんな体験をしてしまうと、学校=クラシック=つまらない
メディア=ロック・ポップス=楽しい。
そんな構図が出来てしまうし、クラシック=芸術=めんどくさい
ロック・ポップス=娯楽=自由 
こんな風にうっかり思っている人が多くなるのも仕方ない。

僕自身は色々な体験を通じて、食べ物、芸術の2つは
とても直接的に体や精神に影響を与える。
添加物たっぷりの、大手企業の食べ物と、
あらゆる宣伝を使って世の中に流通している
音楽とはかなりの共通点がある。

必要以上に宣伝される物は、それなりの理由がある。
宣伝にかなりの金額が動くことを知れば、目的が見えて来る。

人間の脳は、知らない音を聞くと不安になる。
逆に聞き慣れた音を聞けば安心する。
音楽の宣伝の方法は基本的にこの脳の仕組みを
利用している。

本当に体に必要な食べ物の美味しさは、強烈では無く
優しく、添加物に慣れすぎた舌では感じられないことも
少なくない。
本当に必要な音楽も同じ事が言える。
良いとか悪いとか、好き嫌いじゃなくて、『必要』。

薬のつもりで、『必要』な音楽を聴くっていうのは
誰にとっても必要なことなんだと思う。

孔子もゲーテも、一人前の人間になるには楽器と
音楽の嗜みも必要だと考えていたようだ。

食べ物で偏ったヒット商品が出るのも不思議なように、
音楽でも偏ったヒット商品も、スターも本当は必要では無い。
必要なのは健全な議論と、安全な食べ物と、純粋な芸術。

そんな目で、自分の周りの文化・芸術や食べ物を、
自分の価値観で評価して、距離感をもって応援できる
ような人が、もっと増えて欲しいな〜。


posted by shinjibass at 03:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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