2013年12月30日

大人の嗜み 〜その4〜

何かを好きだと思ったりすること。
それが、物や音楽だったりする場合、どのように
その対象と接しているかがポイントになる。

読書の場合、一番レベルの低い読み方が、
登場人物に自分を置き換えてしまうような読み方。
その次が感情移入の割合が多くなってしまう読み方。
その次が内容では無く、作者を気にしながら読んでしまう読み方。
良い読み方は作品に対する自分なりの解釈を持てる読み方。
ということらしい。

それが食べ物、音楽、芸術、スポーツ等の趣味、嗜好にも
けっこう当てはめられる。

音楽に例えると、あるバンドを好きになったと自覚した時に、
最初は夢中であらゆる作品を聞きあさり、情報を集めたりする
のだけど、気がつけばある音楽に関しては、周りと比べて自分
の情報量が多いと気がつくことになる。

その後の成長度は人それぞれにしても、読書のレベルの話が
そっくりそのまま当てはめられる。

最低から当てはめていくと、音楽の場合は、そのバンド自体が
直接自分の存在価値や、プライドと密接に繋がっているような
錯覚を持ってしまい、そのバンドの悪口を聞こうものなら、自分が
批判されたかのように、必死で討論したり、気分を害したり。
何故かこっちのタイプの方が熱心なファンが多い気がする。

自分にとっても、そういう時代はあったので、書いていても
ちょっと恥ずかしくなる。

その次は、学生時代の思い出等と密接に繋げてしまっているため、
そのバンドの音楽的な価値がどうなのか等をあまり考えず、手放しで
受け入れてしまっている状態。このタイプは音楽は最近聞いてないけど
あの頃流行った〜〜で止まってしまっているタイプに多い。
日本ではある時期から大人が音楽から離れる傾向があるみたいだけど、
音楽は人生に必要です。カラオケとは別に、良い音楽を聴くことは
精神的にも肉体的にも健康に良いのでお勧め。

その次は、ある有名な固有名詞が出て来ると、なにがなんでも
素晴らしくて、あれが理解できないんじゃ始まらないみたいな
ことを言ったり、その逆で、聞いてもいないのに自分には関係ない
と決めがちな、権威主義的な聞き方が多い。

この手の人達は音楽に興味もあるし、詳しかったりもするんだけど、
本人達が思うより音楽に精通している訳ではないので、もう少し
謙虚であって欲しいと切に願う。
脳の構造上、知識と慣れによって作られた気持ちの良さは、
疑う余地が無さそうに感じることもあるが、その業界の発展を
願うのであれば、もっとオープンマインドであるべき。
そして、そもそもその知識のソースの信憑性も何度か
疑ってかかることも必要。

そして最後は、ほぼ職業音楽家でなければ難しいのだけれど、
作品を聞いて、その国の歴史的背景もふまえて、本来のテーマが
どこから来て、それをどの様にアレンジしているか?
そのタイミングでその作品を発表することにどのような意味が
あるのか?そして他に方法はなかったのか?
等を踏まえて、作品の真の価値に迫ること。

読書にしろ、音楽を聴くにしろ、ここで取り上げてみた
良い接し方をするのは簡単なことでは無いのだけれども、
それを知る事で得られる楽しみは、かけた時間が長ければ
長いほど価値があるもになる。

そして"大人"であれば、自分だけのことでは無く、
そんな楽しみを与えてくれる業界のことも頭に入れて
応援するなり、楽しむなりしてもらいたい。

そういう人が増えれば、音楽業界で働く人々を
ただ好奇な目で見るだけでは無く、社会人の仲間
として見れるようになれるだろうし、日々接する事が
多い音楽で、不快な気持ちになる機会も少なくなるだろう。




posted by shinjibass at 02:28| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月22日

大人の嗜み 〜その3〜

今回は音楽よりも、もっと重要なテーマについて。
食べ物と飲み物。

最近も放射線やら、表示の偽装等で話題にのぼる事も
少なくはないものの、日本という国の事情に関して言えば、
常に気が抜けない状況と言える。

と言うのも、個人的に知る限りになるが、
先進国の中では、日本がトップクラスのゆるさを
誇るのが食品に関する法律や、表示の義務で、
キノコや魚等、本当の名前ではない名前で売られて
いることがまかり通っているし、お酒に関しての
法律も緩いの一言に尽きる。

コンビニに並んでるものの中に、その他の先進国では
禁止されていたり、健康に悪いという事が常識的に
知られているモノがふんだんに使われていたり。

経済的な問題が、将来の自分や子孫の健康を無視する
原因になっている事があまりに多い。
もちろん、日本にもすごく食品の安全等に気を使っている
人達もいるし、日本以外の先進国でもお粗末な食べ物を
平気で売りつける企業も少なくない。

人は出来るだけ美味しくて、体が喜ぶものを食べたいと
思うのが当然だと思うのだけれど、経済的な問題や
供給量の問題で、簡単なことでは無いのが現状だ。

純粋に脳が喜ぶかとうか?という観点で考えると、
もしかしたら大手のチェーンやファスト・フードの
食べ物、コンビニの食べ物、インスタント等に軍配が
上がらないとも言えない。

誤解を恐れずに言えば、化学調味料がたっぷりの
食べ物は、麻薬に近い効果があると言える。
その強い味にならされてしまうと、本当は美味しいと
感じるべき、手作りの味を美味しいとは感じにくい
体になってしまう。

相手は大企業だけに、香り、味、見た目など、
多くの人が美味しいと感じてしまう食べ物を
信じられないくらいの安い値段で提供してくれる。

24時間やってたり駅の近くにあったり、ついつい
よって買ってしまう場所に、そんな店は沢山ある。
そういう店で買うなとは言わないけれど、そうい店と
真剣に食べ物の安全性や、食べる人の健康を考えている
生産者や販売店等がいることを、いつも頭の片隅に
おいておかなければ、後で痛い目にあうのは我々だ。

目先の安さや、手軽な喜びに負けてしまっては、
お先は真っ暗。まさに悪貨は良貨を駆逐するである。
更に言えば、大手の企業のほとんどは、資本主義に
のっとって、常に成長を目指す訳だけど、すでに
全国区のシェアをもつ企業は、人件費か材料費等を
削るくらいしか、成長の余地がなくなって来ている。
そんな企業の商品を買うのは2重の意味で自分、
つまり庶民の首を自分で絞めることになる。

音楽もしかり。

僕の尊敬するウィリー・ネルソンは、
ファーム・エイドというコンサートで集めたお金で
アメリカの無農薬の農家を支援する資金にしている。
国の法律を動かすのは時間と労力がかかり過ぎるし、
思わぬ敵を増やすかもしれない。
ウィリー・ネルソンのやり方はとても賢いと思う。


posted by shinjibass at 03:18| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

大人の嗜み 〜その2〜

音楽。
文化、芸術の中で一番扱い易く、
親しみ深いと思われているもの。

ところが、思ったよりも音楽に関して
初心(うぶ)な人が目立つ。

そもそも音楽は数学から導かれ、
あらゆる先人の努力により発展し、今日にいたるわけで、
絵や料理、建築と同じように、一朝一夕では成り立たない
に決まっている。

ところが、50年代以降に音楽の市場が拡大すると共に、
音楽への判断が難しい状況にもなり、判断自体を自分では
下せない人の割合が増えている。ここ10年は本当に
もの凄く増えている。

文化、社会の幼稚化と共に音楽も単純、わかり易い、見た目が良い、
といった要素がもてはやされ、もはや本当に歌えるか?演奏できるか?
といった基本的なことすら、どっちでも良いという人もいるらしい。

どっちでも良い音楽を選ぶ人は、他のあらゆる点においてもどっちでも良い
ものを選び、自分すらどっちでも良い存在になってしまうのでは?
なんて、思ってもいない心配をしそうになる。

さらに悪いのは、そんな人達を率先して悪く言うタイプの人にかぎって、
音楽を選ぶプロセスが、あまり変わらないという点。

今の音楽がつまらないとか、アイドルは興味ないとか、的を得ていて
もっともらしそうな意見だけど、そんな人が聴く音楽も、結局は
メディアに与えられた音楽で、たまたま世界的に有名だったり、
様々な記録を持っていたり、本当の音楽家だったりしただけ。

そして歌えない歌手をこのむ人も、昔の思い出を大事に
し続けるタイプも、好きな食べ物やお笑いを探すよりも、
遥かに消極的な方法で音楽を選んでいる。

自分が音楽と深い繋がりを持つからそう思うのか?
とも考えたことは何度もあるけど、とりあえず日本人
以外は、かなり積極的に好みの音を探している。

数年前に会った日本以外の国で育った中学生は、誰でも知るような
有名な歌手のCDはとっくに卒業して、自分で好きなローカルの
(メジャーでは無い)かっこいい音楽家の音楽を探して聞いている
と言っていたし、仮に芸能的な音楽を好んで聴いていたにしても、
それにはある程度の理由が言えるし、それが馬鹿にされる可能性
も自覚している。

英語圏では、そういうのを『ギルティー・プレジャー』と
言うらしい。いい大人が子供っぽい趣味を持ち続ける場合も
あるし、それが必要な人がいるかも知れない。でも、それは
自分だけの秘密にしておくのが良い。

比較的年配には少ないのだけど、そんな年配の人達には
謙遜の美学があり、かなり知っていても専門家で無い限り
知ったような口を聞かない。これは素晴らしい傾向なんだけど、
最近の日本社会では、謙遜が活きない社会になりつつある。
うっかり武士道がどんどん劣化しているからだろう。

そしてそんな中で育った新しい世代は野放しになり、
教育の問題もあってか、どんどん文化・芸術に対する
見識が低くなってきてる。そんな状況が悪化し続ける
一つの原因は、音楽において初心(うぶ)なまま
大人になるからなんだろう。

小学生の時に学校で、突然ベートーベンの音楽を聴かされ、
その音楽について感想を書けと言われたことがある人は
少なくないでしょう。

ベートーベンについても、音楽についても、西洋の文化に
ついてもほとんど知識の無いまま、その感想を『ちゃんと』
書かないといけない状況。

感想なのに、そこには点数があるらしく、決まった答えが
あるらしい状況。

僕がある程度楽器を弾けるようになるまで、クラシックに
本気で興味を持てなかった理由の一つにこの体験があるし、
そんな体験をしてしまうと、学校=クラシック=つまらない
メディア=ロック・ポップス=楽しい。
そんな構図が出来てしまうし、クラシック=芸術=めんどくさい
ロック・ポップス=娯楽=自由 
こんな風にうっかり思っている人が多くなるのも仕方ない。

僕自身は色々な体験を通じて、食べ物、芸術の2つは
とても直接的に体や精神に影響を与える。
添加物たっぷりの、大手企業の食べ物と、
あらゆる宣伝を使って世の中に流通している
音楽とはかなりの共通点がある。

必要以上に宣伝される物は、それなりの理由がある。
宣伝にかなりの金額が動くことを知れば、目的が見えて来る。

人間の脳は、知らない音を聞くと不安になる。
逆に聞き慣れた音を聞けば安心する。
音楽の宣伝の方法は基本的にこの脳の仕組みを
利用している。

本当に体に必要な食べ物の美味しさは、強烈では無く
優しく、添加物に慣れすぎた舌では感じられないことも
少なくない。
本当に必要な音楽も同じ事が言える。
良いとか悪いとか、好き嫌いじゃなくて、『必要』。

薬のつもりで、『必要』な音楽を聴くっていうのは
誰にとっても必要なことなんだと思う。

孔子もゲーテも、一人前の人間になるには楽器と
音楽の嗜みも必要だと考えていたようだ。

食べ物で偏ったヒット商品が出るのも不思議なように、
音楽でも偏ったヒット商品も、スターも本当は必要では無い。
必要なのは健全な議論と、安全な食べ物と、純粋な芸術。

そんな目で、自分の周りの文化・芸術や食べ物を、
自分の価値観で評価して、距離感をもって応援できる
ような人が、もっと増えて欲しいな〜。


posted by shinjibass at 03:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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