2013年06月30日

日本人のミュージシャンのアイデンティティーを考える。

これは、音楽を始めた時点で永遠のテーマだった訳ですが、
色々音楽を知るにつれて、ある点では完全にクリアしました。

あらゆる国に、それぞれ特有の文化があります。
なので当然、その国の伝統音楽と言われる音楽も
無数に存在しています。

海外の人に言わせれば、日本人が西洋の楽器を持って
ロックがどうしたと、英語も話せもしないのに真剣に
語っているのを見ると、理解に苦しむ人が多いみたいです。

彼らに言わせれば『どうして自分の国の音楽をやらないのか?』
ということなのでしょうが、『自分の国の音楽』という認識自体に
問題があります。

アメリカの音楽はあらゆる国の人々の音楽が混ざって誕生しました。
では、アメリカの音楽とは?アメリカの歴史が比較的浅いから多めに
みるということなのでしょうか?それとも数百年経てば良い?
優れた音楽であれば問題ない?

人類史では、アメリカでの音楽のような事があらゆる場所で起こり、
あるものは残り、あるものは廃れてしまいました。
日本にも特有の音楽は存在するっぽいですが、一般レベルで言えば、
正月に聞く琴や芸者さんが演奏する三味線の音色くらいしか
思い浮かばない人も多いでしょう。

これを果たして『自分たちの音楽』と心から呼べるのでしょうか?
言語や様々な文化を含めて、ある国には存在して、ある国には
存在しないものが多々あります。

民衆による民衆の音楽という点においては、日本という国は
残念ながら作ろうとしてきたものの、思うように根付かなかった
というのが本当のところだろうと思います。大衆音楽という意味では
今が一番栄えていると言えます。

著名な音楽研究家の本を読みあさった時期がありましたが、
それまでの日本の音楽がその他の国の音楽に比べて劣っていた
訳ではなく、西洋音楽や現在の大衆音楽と比べて、決定的に
リズムに対する概念が違うため、日本人なら誰もが子供の頃から
教わっている、子供向けの歌や踊り等を形成しているリズム感を
身につけた時点で、過去の日本の音楽の大部分の良さを知ることが
難しくなってしまいます。そして現在の音楽に無理矢理『琴』等の日本の
伝統楽器と言われるものを足したとしても、とってつけた感満載に
なってしまいます。日本の伝統楽器は、『間』という感覚があってこそ
生きるものばかりなので、『ビート』にのせられた時点で良さの大半を
失うことになります。この点がインドと日本の最大の違いかもしれません。

インドの楽器や音楽の核は西洋の音楽と非常に近いので、
西洋風のトラックに、シタールやタブラを入れても問題なく
まっちするし、十分にエキゾチックな雰囲気になります。
日本の三味線や和太鼓も素晴らしい楽器ですが、
ビートに追いかけられると、音色の良さも失われてしまいます。
和楽器は本来の『間』の中で1音1音の響きを楽しむ方が魅力を
発揮できるのです。

そんな状況の中、演歌が日本の心という認識を持つ方も少なくないかも
知れませんが、それもある時期から専門家や企業家がそういう流れ
を創ろうとして出来上がったことだそうです。
もちろん、そういう行為があってこそ文化や芸術は発展し得るのですが、
企業が最初から絡んでいたために、仮に今後もしっかり日本に根付き続けたとしても、
本当の意味での民衆の音楽、市民の音楽になるのは難しいと言えます。

アイリッシュ・ミュージックのような酒場や、そこに
住んでいる人が単純に楽しむ為に発展したような音楽に
値するものは、現在の日本には無いと言っても過言ではないでしょう。

文字や言葉もほとんどの国がアイデアの流用で造り上げてきました。
音楽において持たざる国である日本は、現在もその作業をしている
最中と言えます。

そして現在はインターネットの普及により世界の距離感、歴史への
距離感が大きく変わりました。何も情報が無い頃に、ナッシュビルに
行って、あちこちでカントリーのバンドが演奏をしているのを目の当たりに
したら、誰でもカントリーの聖地ナッシュビル!アメリカ特有の音楽と
思うでしょう。
しかし、そんなカントリーの世界でも、1時代前のスタンダードは
全くカントリーっぽく無い!と酷評されていたものが多いんです。
今やイギリスを代表するバンドの一つとして認識されている
Queenといバンドも最初の2枚までは無視され、酷評され続けた
にも関わらず、有名になってしまうと最初の2枚すらブリティッシュ・
ロックの名盤に選ばれてしまっています。そしてそんなQueenを
最初に認めたのは日本でしたね。
本場の聴衆や同業者が、後のスタンダードに拒絶反応を起こしてるんです。
少なくともそんな人達に、『日本人には理解できないだろう?』
とは言われたくありません。

そして人種間における音楽や芸術における能力の差も無いと
言って問題ないでしょう。
黒人はリズム感が凄いなんて、あちこちで聞きますが、
沢山のリズム感の悪い黒人の立場はどうなるのでしょうか?
究極的に言えばブラック・ミュージッックも、
ホワイト・ミュージックも存在しないと言えます。
その土地の音楽と言った方が適切でしょう。
結局は血よりも環境と、本人の努力です。血や国籍で片付ける考え方自体が
過去の遺物として徐々に廃れていくことを願います。

インターネットや飛行機等が無かったころは環境=国だったでしょう。
しかし現在には全く当てはまらないし、僕のように、ほぼ大半を英語圏の音楽と
ともに育った人も少なくないでしょう。そんな人達にとっては、聞き続けていた
音楽こそが、自分の音楽になります。

音楽もその他のスポーツを含めた文化、芸術と全く同じです。
モンゴル出身の横綱に、どうしてモンゴル相撲をやらないのか?
と失礼な事は聞かないでしょう。日本人の野球選手がアメリカで
活躍するのも、アメリカ人の野球選手が日本で活躍するのも、
どっちも素晴らしいことです。野球は野球。音楽は音楽。
そして日本は音楽後進国ということです。音楽家の皆さんは
そういう自覚をもって日々努力しましょう。僕もがんばります。

日本のここ数百年を見ても、絶えず色々な国の楽器や音楽が
流行し、根付かずに廃れて行く事を繰り返してきました。
ある音楽評論家が『日本人は音楽が嫌いなんです』と言って
いましたが、それが覆るような状態になったら良いなと
本気で思ってます。まずはスターを目指すのをやめて、
好きな音楽をやることから始めましょう!






posted by shinjibass at 22:10| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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